日本歴史地名大系 「立沢村」の解説 立沢村たつざわむら 千葉県:印旛郡富里町立沢村[現在地名]富里町立沢中沢(なかざわ)村の東に位置し、北は佐倉牧の一つ内野(うちの)牧、南は高野(こうや)牧で、高崎(たかさき)川両岸を村域とする。「寛文朱印留」に村名がみえ、高岡藩領。元禄一三年(一七〇〇)頃の下総国各村級分では高二六〇石余で佐倉藩領。以後幕末まで同藩領。享保(一七一六―三六)頃切添新田の立沢新田(幕府領)が成立した。新田開発が進み、天保郷帳・旧高旧領取調帳とも高三七二石余で、佐倉藩領二七七石余(当村分)、幕府領九四石余(立沢新田分)。寛延二年(一七四九)の佐倉藩領村高覚では立沢新田分も含み、夫役永七七二文余・野銭永二貫六八三文。 立沢村たつざわむら 茨城県:北相馬郡守谷町立沢村[現在地名]守谷町立沢大木(おおき)村東方に所在。「寛文朱印留」に村名がみえ、堀田正俊(のち古河藩主)領。「各村旧高簿」によれば、幕末には田安家領三五四・六七三石のほか竜沢(りゆうたく)寺朱印地五・四石があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by