日本歴史地名大系 「守谷町」の解説 守谷町もりやまち 茨城県:北相馬郡守谷町守谷町[現在地名]守谷町守谷北相馬台地西部に位置。南は高野(こうや)村・乙子(おとご)村。中央を東西に銚子(ちようし)街道が通じる。「北相馬郡志」に「日本武尊東夷を平らげ、帰途此地に拠り到る処森林なるを以て、深く御感あり森屋と名く(中略)寛永年中徳川氏守谷町と改む」とみえる。戦国期には相馬氏が守谷城を構えたが、天正一八年(一五九〇)に土岐(菅沼)定政が一万石で入部し、守谷藩が成立。城下町としてある程度繁栄をみ、町の姿を保っていたが、土岐氏移封後は衰微して周辺の農村同様の状況となり、「守谷が町なら田螺も魚」と揶揄されるようになった。 守谷町もりやまち 茨城県:北相馬郡守谷町面積:三五・四六平方キロ郡西部に位置。東は取手(とりで)市、北は筑波郡・水海道(みつかいどう)市、西は水海道市・千葉県野田市、南は千葉県柏市。町域西部を鬼怒(きぬ)川が南北に貫流し、流域に水田が開ける。南縁を利根川が東流し、東北辺を小貝(こかい)川が流れる。明治二二年(一八八九)四月一日の町村制施行により北相馬郡守谷町・赤法花(あかぼつけ)村・小山(こやま)村が合併して守谷町、大山(おおやま)新田・板戸井(いたどい)村・立沢(たつざわ)村・大木(おおき)村が合併して大井沢(おおいさわ)村、高野(こうや)村・鈴塚(すずか)村・乙子(おとご)村が合併して高野村、野木崎(のぎさき)村・大柏(おおがしわ)村が合併して大野(おおの)村が成立。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by