日本歴史地名大系 「立石下村」の解説 立石下村たていししもむら 大分県:速見郡山香町立石下村[現在地名]山香町下(しも)立石中村の東、八坂(やさか)川上流の立石川流域に位置する。東は倉成(くらなり)村、北は国東(くにさき)郡陽平(ひなたびら)村(現豊後高田市)。寛永一九年(一六四二)以降は旗本木下領で、幕府へ提出した郷帳類には米子瀬(よなごせ)村・六太郎(ろくたろう)村の二村として記載される。米子瀬村は立石川右岸、六太郎村は左岸にあり、米子瀬村は杖(つえ)ヶ迫(さこ)・岡(おか)・鳥越(とりごえ)・棚田(たなだ)・坂水(さかみず)・米子瀬の六小村、六太郎村は山(やま)ノ口(くち)・上坂(うえのさか)・藤田(ふじた)・上分(かんぶん)・六太郎の五小村から構成される。上坂には馬ば上(じよう)金山があった。〔中世〕建武四年(一三三七)六月一日の六郷山本中末寺次第并四至等注文案(永弘文書)に記される馬城山(伝乗寺)領の四至に「限南六太郎」とみえ、六太郎は田染(たしぶ)庄(現豊後高田市)の馬城山領と接していたことが知られる。同三年三月三日の御代官家継奉書(松田文書)には薗木の狩倉弁済使に補任された人物として六太郎・平三郎がみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by