改訂新版 世界大百科事典 「竜門騒動」の意味・わかりやすい解説
竜門騒動 (りゅうもんそうどう)
大和国吉野郡の旗本(前奈良奉行)中坊氏(3500石)の知行所竜門郷(現在の吉野郡吉野町と宇陀市の旧大宇陀町にわたる21村のうち15村)に起こった年貢減免強訴の百姓一揆。1818年(文政1)年貢増徴の非をとなえて西谷村細峠の小商人又兵衛らが住民数百人を呼集(14村),平尾村の代官所に押しかけて浜島清兵衛を殺害,さらに大庄屋宅を襲った。浜島は各村庄屋を召して饗応の最中だった。村民の説得を命じたらしい。騒動は一夜で終わったが,奈良奉行所与力が出動して村民ら300人余を検挙,奈良に連行,いったん全員を釈放したが,改めて村民約1000名を召喚して取り調べ,首謀者10余名を翌年断罪した。この一揆に関して1から20に至る数え歌が生まれ,苛政や拷問などの惨状を伝えている。ちなみに吉野郡は幕府直領,竜門郷は唯一の私領である。中坊氏の重課や代官の悪政が糾弾されたが,直領の吉野郡はむしろ優遇されていたから,竜門郷では不満がいっそうつのったといえる。
執筆者:永島 福太郎
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報