童子丸村
どうじまるむら
[現在地名]西都市童子丸
南方村の南に位置する。集落は西都原台地の麓を占め、西を米良街道が通る。永正三年(一五〇六)頃伊東尹祐は家臣垂水又六の妻を所望して断られた。尹祐は又六が知行所の三宅に向かったことを知ってこれを追ったが、近習によって「童子原ノ寺家」に入れられたという(日向記)。近世の領主の変遷は穂北村と同じ。天正一六年(一五八八)八月四日の日向国知行方目録では「参拾町 とうし原」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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