日本の城がわかる事典 「竹ヶ鼻城」の解説 たけがはなじょう【竹ヶ鼻城】 岐阜県羽島市にあった城。尾張との国境にあり竹腰尚隆によって応仁年間(1467~68年)に築城されたとされる。逆川を外堀とした二重の堀に囲まれた城であったといわれている。この城のある竹鼻地区(羽島市竹鼻町)はもともと尾張領だったが、1586年(天正14)の木曾川大氾濫で流路が南に変わったために美濃国に編入されたところである。この城は当初、美濃国守護の土岐氏に属し、斎藤氏さらに織田氏に移った。その後、1584年(天正12)の小牧・長久手の戦いのときには、竹ヶ鼻城の城主は織田信雄の配下の不破広綱であった。信雄は徳川家康に同盟して羽柴秀吉(豊臣秀吉)に敵対したために、秀吉方は同城を水攻めにより攻略、秀吉配下の一柳直末が入城した。1600年(慶長5)の関ヶ原の戦いの際には、西軍(豊臣方)に属した織田秀信配下の杉浦五左衛門重勝が城主を務めていた。関ヶ原の戦いの前哨戦として、東軍(徳川方)に与した清洲城(愛知県清須市)の福島正則による攻撃を受けて落城し、重勝は自害した。この戦いののち、竹ヶ鼻城は廃城となった。かつての竹ヶ鼻城のあった一帯は商店街、宅地、農地になっており、城跡の遺構は失われている。また、城のあった場所も正確には特定されていない。城跡と推定されている場所から、東約300m付近に羽島市歴史民俗資料館があり、この資料館の右に城址碑と説明板が建っている。この城址碑のある場所に本丸があったとする説もある。名鉄竹鼻線羽島市役所前駅から徒歩約10分。 出典 講談社日本の城がわかる事典について 情報