竹本 朝太夫
タケモト アサタユウ
- 職業
- 義太夫節太夫(文楽)
- 本名
- 正木 丑之助
- 生年月日
- 安政3年
- 経歴
- 大阪で素人義太夫床の世話係を始め、浄瑠璃を聞き覚えで語った。7代目染太夫の門弟とされるが、特に師匠はなく、各太夫に可愛がられ、文楽座、次いで彦六座に出演。明治30年上京、茅場町薬師の宮松座で「野崎」を語ってうけた。以来豊沢松太郎を相三味線とし、素浄瑠璃で長く一座を維持した。昭和2年文楽座に復帰、翌年引退した。
- 没年月日
- 昭和8年 1月30日 (1933年)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報
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竹本 朝太夫
タケモト アサタユウ
明治〜昭和期の義太夫節太夫(文楽)
- 生年
- 安政3年(1856年)
- 没年
- 昭和8(1933)年1月30日
- 本名
- 正木 丑之助
- 経歴
- 大阪で素人義太夫床の世話係を始め、浄瑠璃を聞き覚えで語った。7代目染太夫の門弟とされるが、特に師匠はなく、各太夫に可愛がられ、文楽座、次いで彦六座に出演。明治30年上京、茅場町薬師の宮松座で「野崎」を語ってうけた。以来豊沢松太郎を相三味線とし、素浄瑠璃で長く一座を維持した。昭和2年文楽座に復帰、翌年引退した。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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竹本朝太夫 たけもと-あさたゆう
1856-1933 明治-昭和時代前期の浄瑠璃(じょうるり)太夫。
安政3年2月生まれ。義太夫節。7代竹本染太夫の門にはいり文楽座,彦六座に出演。明治30年上京,初代豊沢松太郎を相三味線として人気をえる。美声の語り手で,つや物を得意とした。昭和8年1月30日死去。78歳。大坂出身。本名は正木丑之助。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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