日本大百科全書(ニッポニカ) 「竹生島縁起」の意味・わかりやすい解説
竹生島縁起
ちくぶじまえんぎ
滋賀県長浜市の都久夫須麻神社(つくぶすまじんじゃ)・宝厳寺(ほうごんじ)の縁起。智福嶋縁起とも表記する。護国寺本『諸寺縁起集』に、931年(承平1)成立と伝える縁起を収録するのが早い時期のもの。『群書類従』本には、1414年(応永21)に普文が比叡山にて旧記を集めて撰したとの奥書があり、勧進帳の前文として著されたらしい。琵琶湖上への竹生島の出現とその出所に関するいくつかの口伝、島名・周辺地名の由来や仏教的注釈、738年(天平10)の行基による四天王像安置から989年(永祚1)の平惟仲の法華三昧田の施入に至る尊像堂舎の造立や神階授与・寄進などの年代記、十五童子が垂迹(すいじゃく)した神社などが記される。北近江での気吹雄命(いぶきおのみこと)と地主神浅井姫の争い、海竜が大鯰に変じて大蛇を退治した話、信仰の中心となる弁才天の霊験譚、中世の祭礼図にも描かれる六蓮華会の由来など、短編ながら多彩な内容を含んでいる。
[藤原重雄]
『西田長男著「竹生嶋縁起」(『群書解題 第6巻』所収・1986・続群書類従完成会)』