20世紀日本人名事典 「笠井栖乙」の解説 笠井 栖乙カサイ セイオツ 大正・昭和期の俳人,教育者 関西高校長。 生年明治21(1888)年5月23日 没年昭和50(1975)年8月13日 出生地岡山県賀陽郡和井本村(現・岡山市) 本名笠井 誠一 学歴〔年〕国学院大学卒 経歴教員となり、岐阜中学校・岡山中学校・三次高等女学校などで教鞭を執る。この間、俳人・志田素琴の指導を受けて本格的に俳句を始め、内藤吐天・大森桐明らと共に岡山県俳壇の新進として注目された。昭和5年西村燕々主宰の俳句雑誌「唐辛子」の選者となり、7年からは素琴の「東炎」同人。24年関西高校の校長に就任。29年に教職を退いた後は句作三昧の生活に入り、俳誌「光茫」の選者などを務めた。句集に「陣山抄」「松籟」などがある。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「笠井栖乙」の解説 笠井栖乙 かさい-せいおつ 1888-1975 大正-昭和時代の俳人。明治21年5月23日生まれ。志田素琴の指導をうけ,昭和5年西村燕々(えんえん)により岡山を中心にした俳誌「唐辛子」が発刊されると選者となる。戦後は「光芒(こうぼう)」の選者をつとめた。24年関西(かんぜい)高校長。昭和50年8月13日死去。87歳。岡山県出身。国学院大卒。本名は誠一。句集に「陣山抄」「松籟(しょうらい)」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by