笠原水道(読み)かさはらすいどう

日本歴史地名大系 「笠原水道」の解説

笠原水道
かさはらすいどう

江戸時代、城下南方の笠原新田から城下下町(したまち)まで導いた上水道。水源地は千波(せんば)湖東端から南へ約二キロにある逆(さかさ)川の浸食谷不動(ふどう)谷の湧水で、水源地から末端までは創設当時約一〇キロあった。

寛永二年(一六二五)に開設した下町は飲料水に恵まれなかったため、徳川光圀が下総佐倉(さくら)の平賀保秀にこの上水道の建設を命じた。「探旧考証」の寛文三年(一六六三)七月の項に「下街ヘ清水道ヲ為御引被下置時ニ町奉行市川三左衛門普請奉行ハ平賀勘衛門也水源ハ笠原不動滝ニシテ橋元ト(ママ)ヨリ藤柄丁入口迄六尺三寸間ニテ千八百七十三間四尺五寸之所皆岩樋也」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の笠原水道の言及

【水戸[市]】より

…それには,田町の造成に伴い上町の内郭から下町へ移転したものと,城下から外縁部また郷村へ移転したものとに大別できる。光圀はこのほか下町士民の飲料水確保の目的で笠原水道を敷設したり,家臣のために城下に接する常葉(ときわ)村に常磐共有墓地,坂戸村に坂戸共有墓地を造った。下町は低地で北に那珂川,南に千波湖があるためたびたび洪水に襲われ,とくに1723年(享保8),28年,30年,34年,55年(宝暦5),86年(天明6),1824年(文政7),38年(天保9)などに大被害があった。…

※「笠原水道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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