笠木御所跡(読み)かさぎごしよあと

日本歴史地名大系 「笠木御所跡」の解説

笠木御所跡
かさぎごしよあと

[現在地名]多気町笠木

森出もりでの南、東方外城田ときだ平野に張出した台地上に、東西五〇〇メートル、南北四〇〇メートルの規模をもつ中世城郭。笠木字中村なかむらのうちで郭数三七、井戸二四で館と山城を兼ね備えている。西方に小さい池があり、その北が馬場といい、南側に字町屋まちやとそれに連なる市門いちかどがある。台地の東側平野へ突出た端付近は番所山ばんとやまという。ほかに鳥立とりたて立鳥たてとりの字名がある。この辺りを御所跡ごしよあととよび、御所跡西中央部に八幡祠がある。「信長公記」によれば、永禄一二年(一五六九)北畠具教織田信長と和睦したのち「笠木坂内と申す所へ退城候也」と記されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 裏書 モリ

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む