符津村(読み)ふつむら

日本歴史地名大系 「符津村」の解説

符津村
ふつむら

[現在地名]小松市符津町・松生町まつおいちよう

木場きば潟南西の丘陵地にあり、北は矢崎やざき村、北西くし村。府津村とも記される。正保郷帳では高四八九石余、田方八町二反余・畑方二〇町五反余、新田高一一九石余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では高六二八石、免五ツ二分、小物成は野役一四匁・湖役五七匁、地子銀三〇四匁余(ほか三二匁余退転)、板船櫂役五〇匁(うち二〇匁出来)、茅野役七五匁(三箇国高物成帳)。寛政四年(一七九二)の家数七二(うち本百姓六〇・頭振一〇・孀二)、人数男一五八・女一五〇、馬五。湖岸の埋立てによる新開が進められ、享保八年(一七二三)には大島開六千六〇〇歩・吉川開三〇〇歩が開かれ、文化年間(一八〇四―一八)金平かなひら村の十村の石黒智長が宝達ほうだつ金山(現押水町)の鉱夫を使って宝達開四町歩を開いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む