笹ヶ谷鉱山跡(読み)ささがたにこうざんあと

日本歴史地名大系 「笹ヶ谷鉱山跡」の解説

笹ヶ谷鉱山跡
ささがたにこうざんあと

[現在地名]津和野町邑輝・豊稼

砥石といし山を中心に南北に延びる須郷田すごうだ山地にある銅鉱を主とする鉱山で、はたさこ村からいしたに村一帯に問歩口があったが、笹ヶ谷が最大であったので笹ヶ谷鉱山と称した。弘安年間(一二七八―八八)に開鉱されたというが、本格的に採掘されたのは江戸時代以降である。慶長年間(一五九六―一六一五)石見銀山奉行に着任した大久保長安は、当鉱山周辺の石ヶ谷・中木屋なかごや十王堂じゆうおうどう日原にちはら(現日原町)の五ヵ村を幕府直轄領とし銀山奉行支配下に置いた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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