日本歴史地名大系 「笹屋四丁目・同五丁目」の解説 笹屋四丁目・同五丁目ささやんちようめ・ごちようめ 京都市:上京区翔鸞学区笹屋四丁目・同五丁目上京区笹屋町通千本西入東西に通る笹屋町(ささやちよう)通を挟む両側町で、南北に通る六軒町(ろつけんちよう)通の東側が四丁目、西側七本松(しちほんまつ)通までが五丁目。寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「四丁目」「ささや丁」(五丁目)とある。寛文後期洛中洛外之絵図では、笹屋町通の各丁の間に「うらや」と記すが、意味不詳。町名は笹屋町通による。明治維新前は上古京下西陣組の笹屋町一二町組に属し、軒役は四丁目が四五軒半役、五丁目が四八軒役。五丁目の南西にある浄土宗西山深草派宝樹(ほうじゆ)寺は、「坊目誌」によれば、文禄年中(一五九二―九六)浄誉の創建。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by