笹屋町
ささやちよう
[現在地名]中区錦三丁目
針屋町の南にあり、本重町筋の半町上より広小路までの二丁半をさす。広小路の先には武家屋敷が両側に並ぶ。呉服町筋の碁盤割南端に位置する。清須の朝日村(現西春日井郡)内の八重屋敷が引越したため、清須越しの初めは八重町と称した。
笹屋町
ささやちよう
下京区東洞院通下珠数屋町上ル
南北に通る東洞院通(旧東洞院大路)を挟む両側町。
平安京の条坊では左京七条四坊二保三町西南隅及び七条三坊三保一四町東側、平安時代中期以降は北小路東洞院大路北にあたる。
町の形成は慶長七年(一六〇二)東本願寺寺領となり、寺内町形成に伴い同地一帯の市街地化に始まる。寛永一四年(一六三七)洛中絵図には町名は出ないが「町地」と記される。
笹屋町
ささやちよう
南北に通る麩屋町通の両側町で、北は竹屋町通、南は夷川通。
平安京の条坊では左京二条四坊三保一四町の西寄りに位置する。
町名は、寛永一四年(一六三七)洛中絵図に「笹や町」とあり、寛永一八年以前平安城町並図のみ「舟や町」とするが、ほかは「笹屋町」となっている。
笹屋町
ささやちよう
[現在地名]大津市中央二―三丁目
葭原町より中町通の玉屋町へ抜ける横町。桜町ともいい、元禄八年町絵図には桜町の家数二二とあり、町の南東部に町番屋が置かれている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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