筒口村(読み)つつぐちむら

日本歴史地名大系 「筒口村」の解説

筒口村
つつぐちむら

[現在地名]挟間町筒口・小野おの

たに村の西にあり、西は龍原たつはる(現庄内町)。天正七年(一五七九)八月吉日の阿南庄狭間南方四百貫分覚(甲斐守文書)に「筒口村」とみえる。江戸時代を通じて肥後熊本藩領で、初め谷村手永、享和三年(一八〇三)以降野津原手永に属した。寛永一一年(一六三四)の同藩豊後国郷帳に村名がみえ高五五二石余。正保郷帳によれば田高二二九石余・畑高三二三石余、阿南あなん庄に所属。柴山あり、日損所と注記される。元禄一三年(一七〇〇)の熊本領豊後国之内郷帳(臼杵藩政史料)では高五五二石余。「肥後国誌」によると高二九四石余、片野村・上中尾かみなかお村・下中尾村・桑津留くわづる村などの小村があった。


筒口村
つつぐちむら

[現在地名]熊本市横手よこて一丁目・島崎しまさき一丁目

熊本城下町の高麗門こうらいもん町のすぐ西に接し、北は宮内みやうち村、西と南は井芹いせり川で横手村に接する。横手手永に属し、宝暦一一年(一七六一)の下ケ名寄帳によれば、惣高一四石七升余で、御蔵納田二畝・畑一町七反七畝余のほか、「元禄四年より妙解寺珎竹」植付け一畝一三歩、「元禄四年より願行寺渡り」四畝一六歩、「元禄十四年より正立寺渡り」三反一畝一五歩、「元禄十四年より長国寺渡り」五反一畝一八歩、「宝永二年より妙立寺渡り」四反二三歩と、給地として長岡友山老・山名十左衛門・中根平兵衛・萩原伝右衛門・桜間尉助に合計一町三畝一〇歩、五反三畝九歩の禅定ぜんじよう寺御赦免開を記している。


筒口村
つつぐちむら

[現在地名]鹿島市大字山浦やまうら字筒口

現鹿島市の北部石木津いしきづ川の北西に位置する。正保絵図に村名がみえる。現在の水梨みずなしも含んで筒口村といい、藩政時代は鹿島支藩に属した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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