日本歴史地名大系 「山浦村」の解説
山浦村
やまうらむら
〔中世〕
永正四年(一五〇七)の志手泰久田畠坪付并米定銭夫銭注文案(志手文書)や永正年間の山香郷一揆拘分土貢納所銭注文案(志手トラエ文書)によれば、東西一揆衆給分のうち西方分が
山浦村
やまうらむら
山浦村
やまうらむら
山浦村
やまうらむら
山浦村
やまうらむら
- 佐賀県:鳥栖市
- 山浦村
山浦村
やまうらむら
- 長野県:小諸市
- 山浦村
承応年中(一六五二―五五)大久保村を分離したと伝えるが(長野県町村誌)、元禄一六年(一七〇三)の牧野康重新知郷村引渡証文に「高弐百三十七石 山浦村 家六十九 内百十石七斗五升一合 大久保村 家四十九」とあるように、二村はほとんど一体的な地域である。
千曲川の狭い谷にあるため、耕地の拡張は主として断崖上の御牧原に求めねばならず、慶安年中(一六四八―五二)には
山浦村
やまうらむら
山浦村
やまうらむら
山浦村
やまうらむら
山浦村
やまうらむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報