答西郷(読み)とうせごう

日本歴史地名大系 「答西郷」の解説

答西郷
とうせごう

和名抄」所載の郷。同書高山寺本に益西、名博本に谷西とある。諸本とも訓を欠く。「鹿児島県史」の推定どおり後世の帖佐ちようさ(現姶良町)と考えられる。別府べつぷ川河口部の右岸一帯であるが、おそらく左岸の現加治木かじき町域にもわたっていたとみられる。大隅国建久図田帳には「帖佐郡二百七十一丁大」「加治木郷百廿一丁七段半」などと記され、かなり広大な耕地があった。また天平八年(七三六)の薩摩国正税帳(正倉院文書)阿多あた(推定)の項にみえる「主政外少初位上勲十等加士伎県主都麻理」の本貫地がのちの加治木郷の地であったとすれば、県主の姓などから古来勢力の存在をうかがわせる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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