日本歴史地名大系 「加治木郷」の解説
加治木郷
かじきごう
平安時代末期から中世にみえる郷名。現加治木町を中心として姶良町・
〔大隅国建久図田帳〕
大隅国建久図田帳によれば、加治木郷一二一町七段半は正八幡宮(現鹿児島神宮)領で、「正宮新御領」とみえることから、図田帳作成時から程近い頃に正八幡宮領になったと推測される。本家は山城
〔石築地役配符〕
建治二年(一二七六)八月日の石築地役配符写(調所氏家譜)には、加治木郷の内部構造が詳しく記されているが、当郷の田数表記には誤写に伴うと推測される誤記が目立つ。なお同配符写は文永の役後に幕府の命によって筑前博多湾岸に石築地(石塁)を築く際のもので、各自の所領面積とそれに応じた石築地の負担の長さを記したものである。これによると、永用一〇六町二段半は本名永用五〇町(御家人加治木郡司氏平)・
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報