算用場跡(読み)さんようばあと

日本歴史地名大系 「算用場跡」の解説

算用場跡
さんようばあと

[現在地名]金沢市丸の内

藩の財政をつかさどる役所で、城の北側、藤右衛門とうえもん丸下に位置した。当初は紺屋坂口こんやさかぐち御門前(のちの新堂形米蔵敷地)に設けられたが、万治二年(一六五九)金谷かなや御門外の堂形どうがた屋敷に移転、寛文一二年(一六七二)当地に移った(菅家見聞集)。敷地は東西六四間余(延宝町絵図)、人口は西町口にしちようぐち御門側(東側)にあり、御預地方・定検地方・御勝手方・改作方・御郡方・金山方などの詰所も併置されている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む