日本歴史地名大系 「箱根ヶ崎村」の解説 箱根ヶ崎村はこねがさきむら 東京都:西多摩郡瑞穂町箱根ヶ崎村[現在地名]瑞穂町箱根ヶ崎・箱根ヶ崎西松原(はこねがさきにしまつばら)・箱根ヶ崎東松原(はこねがさきひがしまつばら)・南平(みなみだいら)石畑(いしはた)村の北西に位置し、西は下師岡(しももろおか)新田・長谷部(はせべ)新田および栗原(くりはら)新田、南は羽(は)村・五ノ神(ごのかみ)村(現羽村市)。当地で青梅(おうめ)街道と日光脇往還が交差する。八王子から北上してきた日光脇往還は当地を通り、狭山(さやま)丘陵西端の峰を越え北の富士山(ふじやま)村へ通じた。北部の丘陵麓にある狭山池は筥(はこ)ノ池ともよばれる。池中の弁財天脇から分水一流は、石畑・殿ヶ谷(とのがや)、岸(きし)・三ッ木(みつぎ)(現武蔵村山市)を流れて砂川(すながわ)村(現立川市)で玉川上水に合流し、同上水の助水となっていた(風土記稿)。永禄七年(一五六四)五月二三日、北条氏照は三田治部少輔・師岡采女佑に対して清戸(きよと)番所(現清瀬市)守備の番衆(三番衆)をそろえることを命じている(「北条氏照朱印状」和田文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by