篠倉村(読み)ささくらむら

日本歴史地名大系 「篠倉村」の解説

篠倉村
ささくらむら

[現在地名]加西市笹倉町ささくらちよう

中富なかとみ村の南西、万願寺まんがんじ川中流域右岸に位置する。北は殿原とのはら村、南は玉野たまの村、西は古坂ふるさか村。室町時代は光照こうしよう(現京都市上京区)多可たか庄に属した。多可庄の庄官を勤めた長浜氏は当地に居住して笹倉(佐々倉)氏を称した。笹倉氏は在田氏の勢力下に入り、その後三木別所氏に属し、三木城落城後は帰農して庄屋を勤めた。天文二〇年(一五五一)三月一八日の山城官兵衛田地寄進状(清水寺文書)に「住吉西佐々倉名」とみえ、同名内の田地二段が清水きよみず寺根本堂・同講堂(現社町)永代寄進されている。


篠倉村
ささくらむら

[現在地名]波野村小池野しようちの 笹倉ささくら

街道沿いに長く延びた小地野しようちの村のほぼ中央に位置し、北東に向かう豊後街道と東の豊後竹田領に通じる道路の分岐点にできた宿場町。「国誌」に「里俗ハ篠倉町ト云リ、此村ノ内下園ト云小村アリ、熊本府ヘ十五里」とある。久住手永に属し、「国誌」によれば御茶屋が置かれていたが、藩主細川重賢により宝暦年間(一七五一―六四)に廃止されたとある。天明四年(一七八四)古川古松軒は「西遊雑記」に「笹倉などいふ原はむかしの武さしのゝ原と称せしはかゝる原ならんと思ふばかりの広々とせし所なり」と記している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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