篠原 雄(読み)シノハラ タケシ

20世紀日本人名事典 「篠原 雄」の解説

篠原 雄
シノハラ タケシ

大正・昭和期の生物学者,科学哲学者 東京慈恵会医科大学教授。



生年
明治26(1893)年10月4日

没年
昭和42(1967)年2月10日

出生地
石川県金沢市

学歴〔年〕
東京帝大理学部動物学科〔大正8年〕卒

経歴
大正9年東京慈恵会医科大学予科講師、翌年同教授となり、昭和14年明治大学予科講師。29年川村短期大学教授、31年亜細亜大学教授に就任した。その間、3年当時旧制東京高校生物学教授だった友人北川三郎が不慮の死をとげた事件を機に、北川の「個々の科学に普遍妥当な一つの統一原理体系を樹立すべきである」との理念を実現すべく友人の生物学者数名と共に綜合自然史学会を結成。8年綜合科学協会と改称、常任監事となり、機関誌「綜合科学」を発行。14年に解散するまで科学の綜合統一化の研究と運動に従事。また、24年科学論理学会を結成、さらにアメリカ哲学研究会、科学基礎学会が設立されると、科学哲学運動の統一組織の必要を説き、これら学会の共同での科学哲学大会を実現させ、今日の我が国における科学哲学研究への道を開いた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

今日のキーワード

焦土作戦

敵対的買収に対する防衛策のひとつ。買収対象となった企業が、重要な資産や事業部門を手放し、買収者にとっての成果を事前に減じ、魅力を失わせる方法である。侵入してきた外敵に武器や食料を与えないように、事前に...

焦土作戦の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android