篠向城跡(読み)ささぶきじようあと

日本歴史地名大系 「篠向城跡」の解説

篠向城跡
ささぶきじようあと

[現在地名]久世町三崎

三崎(みさき)の南に位置する笹向(ささぶき)山(四一九メートル)山頂一帯にある。篠吹城・篠葺城などとも記す。笹向山の北麓を出雲往来が、西側平地を大山往来が通り、交通の結節点となっている。現在テレビ中継所アンテナのある場所が本丸跡で、そこから西北約五〇メートルに二の丸跡、二の丸跡から南西約一〇〇メートルに三の丸跡がある。石垣・井戸・土塁などが残る。「太平記」巻三六(山名伊豆守落美作城事付菊池軍事)によると、延文六年(一三六一)七月一二日飯田一族が居城した「篠向ノ城」など美作国の六城が一矢も射ずに山名氏に降参している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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