日本歴史地名大系 「米倉陣屋跡」の解説 米倉陣屋跡よねくらじんやあと 神奈川県:横浜市金沢区六浦社家分村・六浦寺分村・六浦平分村米倉陣屋跡[現在地名]金沢区瀬戸京浜急行電鉄金沢八景(かなざわはつけい)駅西南の谷戸にあった六浦藩主米倉氏の陣屋。通称お屋敷(やしき)とよぶ。「米倉氏系譜」(県史五)によると、米倉氏は武田氏の旧家臣。武田氏滅亡後徳川氏に仕え、家康の関東入部とともに相模国に所領を与えられ、慶長一九年(一六一四)鎌倉代官となった清継を祖とする。昌縄・昌純を経て昌尹が元禄九年(一六九六)若年寄に昇進して武蔵・相模・上野に計一万石、同一二年さらに久良岐(くらき)郡宿(しゆく)村・同村新田・赤井(あかい)村・六浦平分(むつらひらぶん)村・六浦社家分(むつらしやけぶん)村・六浦寺分(むつらてらぶん)村・六浦寺前(むつらてらのまえ)村・同村新田などを含み武蔵・相模・上野・下野に五千石を加増され、大名となって下野国都賀(つが)郡皆川(みながわ)(現栃木市)に陣屋を構えた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by