米地村
めじむら
[現在地名]香住町米地
佐津川を挟んで九斗村の対岸南東に位置し、北は訓谷村、南は下岡村。米持とも書く。中世には佐須庄内であった。暦応三年(一三四〇)二月一七日左衛門尉某は「佐須庄内米持」薬師堂に「免荒木田」一反と「油免畠」を寄進しており、寄進状は「米持村」に宛てている。明応七年(一四九八)一二月一三日宗信は、右の荒木にある田一反と油免畠のほか「米持谷口」にある九〇歩を、代々証状に任せて寄進し、寄進状は当村養谷庵に宛てている。油免畠は「東之上者好子谷境、山者随喜庵後之谷通境、下者城山のほり切境、惣而
山者安進谷・蔵谷山尾境」と境界を記している(以上、八木文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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