米多村
めたむら
[現在地名]上峰村大字前牟田字上米多・下米多・小坊所
前牟田村の西、標高五メートル内外の低地に立地し堀が多い。弥生時代の貝塚線に位置し、村内に貝塚跡がある。「肥前風土記」に「米多郷」とある。村名は米田とも書く。郷村帳記載の小名に晴気・米田宿がある。
元亀三年(一五七二)竜造寺隆信は三回目の西島城(現三根町)攻めのあと帰陣にあたって姉川信安を姉川(現神埼郡神埼町大字姉川)より米田(米多)城に移し、横岳氏の知行の内で一〇〇町を押し取って信安に与えた(九州治乱記)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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