米山峠
よねやまとうげ
旧頸城郡と旧刈羽郡を結ぶ郡境の峠。標高九九二・六メートルの米山の北麓の海岸道をいう。「管窺武鑑」に「八崎より与根山へ掛り 亀割坂を通て東道卅里の山路を打越、山の彼方へ下着、鯨波」とある。旧頸城郡鉢崎から旧刈羽郡鯨波に至る難所をいう。「歴代古案」「越後治乱記」などいずれも三〇里と記している。峠は源義経草分の道と伝えられ、義経ゆかりの亀割坂・胞姫神社が残る。戦国期には上郡と中郡を結ぶ要路として重視され、付近の旗持城は峠を扼する戦略的拠点とされた。近世に入ると旗持城に代わって、峠の頸部にわたる鉢崎に関所が設けられた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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