米殿小路町(読み)よねどのしようじまち

日本歴史地名大系 「米殿小路町」の解説

米殿小路町
よねどのしようじまち

[現在地名]山口市米屋こめや町・駅通えきどおり二丁目の各一部

石州街道沿いの米屋町(晦日市)の一つ南側の横町。東は北野小路きたのしようじを越えて馬場殿小路ばばどのしようじに続き、西は今市いまいち町に突き当る。

山口古図町名を記さないが、北東部に「道実公御滞在ノ御殿ナリ」と記す。これについて「注進案」は「幼年殿小路」として次のように記す。

<資料は省略されています>

この町の東詰を南に折れる通り、すなわち北野小路の南延長上の道を相良小路さがらしようじというが、これも米殿小路町のうちで、西側に「相良氏」邸、東側に「深田寺」があった(山口古図)。大内氏に仕えた相良正任・武任らの屋敷があった所という。深田ふかた寺は天台宗の寺院で薬王山と号し、本尊薬師如来

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む