粉ノ白村(読み)このしろむら

日本歴史地名大系 「粉ノ白村」の解説

粉ノ白村
このしろむら

[現在地名]那智勝浦町粉白このしろ

太田おおた川河口の南西にあり、南は熊野灘に面する。北は八尺鏡野やたがの村、北東下里しもさと村。「続風土記」は「海浜にあり、砂浜にて白砂雪の如く粉ノ白の名是より出るならん」と記す。慶長検地高目録によれば村高四九石余。文政元年(一八一八)の郷帳(「那智勝浦町史」所収)によれば家数九で内訳は本役三、肝煎・歩行各一、庵一、半役・隠居三、人数一〇六(男四九・女五七)、牛五、通船一。天保郷帳では村高六七石余。近世後期の「新宮領分見聞記」によれば家数一九と増加。「南紀徳川史」は当村を下里の付浦としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

新暦の 4月後半から 5月の,梅雨前に日本列島が大きな移動性高気圧に覆われたときの晴天。発現期間は短い。もともとは旧暦 5月が梅雨にあたることから,梅雨の晴れ間の意味で,梅雨晴れ(つゆばれ)とも呼ばれ...

五月晴れの用語解説を読む