粉ノ白村(読み)このしろむら

日本歴史地名大系 「粉ノ白村」の解説

粉ノ白村
このしろむら

[現在地名]那智勝浦町粉白(このしろ)

太田(おおた)川河口の南西にあり、南は熊野灘に面する。北は八尺鏡野(やたがの)村、北東は下里(しもさと)村。「続風土記」は「海浜にあり、砂浜にて白砂雪の如く粉ノ白の名是より出るならん」と記す。慶長検地高目録によれば村高四九石余。文政元年(一八一八)の郷帳(「那智勝浦町史」所収)によれば家数九で内訳は本役三、肝煎・歩行各一、庵一、半役・隠居三、人数一〇六(男四九・女五七)、牛五、通船一。天保郷帳では村高六七石余。近世後期の「新宮領分見聞記」によれば家数一九と増加。「南紀徳川史」は当村を下里の付浦としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

ノーベルがスウェーデンアカデミーに寄付した遺産を基金とする世界的な賞。1901年以降行われ、毎年、物理学・化学・生理学および医学・文学・平和・経済学の6部門において、顕著な功績のあった人に授与される。...

ノーベル賞の用語解説を読む