粉河街道
こかわかいどう
江戸時代、現在の泉佐野市地方と和歌山県那賀郡粉河町地方を結んだ街道。その行程は現在の主要地方道泉佐野―粉河線にほぼ踏襲されているが、泉佐野市内の平地部では近代以降の地域開発で度々改修され、行程の変化が著しい。当街道は古くより和泉国南部と紀伊国北部をつなぐ生活道路の一であったと思われる。また西国三十三所観音霊場第三番札所の粉河寺や修験道霊場犬鳴山七宝瀧寺への参詣道としても用いられた。正和五年(一三一六)の日根野村絵図(九条家文書)に、熊野街道から日根野村と長滝庄の境界辺りで分岐し、穴通社(現蟻通神社)の北を通り、小塚・井蛭(飯雨)堂・牛神松・禅林寺・八王子社近くを経、大井関大明神(現日根神社)の北を通り入山田(現土丸・大木地区)に入る道が描かれており、粉河街道のこの時期の行程がうかがわれる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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