粉河寺(読み)コカワデラ

デジタル大辞泉 「粉河寺」の意味・読み・例文・類語

こかわ‐でら〔こかは‐〕【粉河寺】

和歌山県紀の川市にある粉河観音宗の寺。もと天台宗。山号は風猛山。西国三十三所第3番札所。開創は宝亀元年(770)大伴孔子古おおとものくじこと伝える。現在の諸堂宇の多くは享保年間(1716~1736)の再建。所蔵の粉河寺縁起は国宝。

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精選版 日本国語大辞典 「粉河寺」の意味・読み・例文・類語

こかわ‐でらこかは‥【粉河寺】

  1. [ 一 ] 和歌山県那賀郡粉河町にある粉河観音宗の総本山、施音寺の通称。もと天台宗。山号は補陀洛山。または風猛(かざらぎ)山。宝亀元年(七七〇)大伴孔子古(くじこ)の創建と伝えられる。「粉河寺縁起」は国宝。西国三十三か所の第三番札所。粉河。
  2. [ 二 ] 謡曲。四番目物。廃曲。作者不詳。紀伊国粉河寺に宿をこうた杉村弾正少弼(しょうひつ)は寺法を理由に断られるが、梅夜叉(うめやしゃ)という稚児の情けで許される。のち弾正は梅夜叉の厚情に感じて主君に推挙し迎えに来る。

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日本歴史地名大系 「粉河寺」の解説

粉河寺
こかわでら

[現在地名]粉河町粉河

和泉山脈の南側丘陵、風猛かざらき山の南麓に位置する。風猛山(古くは補陀落山)と号し、粉河観音宗の本山。本尊は千手観音。西国三十三所観音巡礼の第三番札所。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔創建〕

宝亀元年(七七〇)大伴孔子古によって創建されたと伝え、「粉河寺大率都婆建立縁起」によると狩人孔子古が谷間に光明を発する霊地を見付け庵を営んだが、ある日一人の童男行者が孔子古を訪れ、七日間庵にこもり千手観音像を作って与えた。孔子古は姿を消した行者が観音の化身であることを知り、殺生をやめ深く仏法に帰依したという。孔子古が精舎を建立した地は、同縁起に「踟東西、適到一澗川、随流尋行間、河水甚白、俄如流米粉、忽然得悟、即知此地、遂入林中、得一草堂」と記される。河内国渋河しぶかわ郡馬馳市の長者佐太夫が、千手観音の化身の童男行者の導きによって尋ね入った粉河の草堂は山深い奥地であったとも記す。したがって当初粉河寺は現在地より葛城かつらぎ山に近い山中であったと考えられる。それが同縁起にいうような伊都いと渋田しぶたの里(現和歌山県かつらぎ町)の富める寡婦の伽藍建立や那賀なが名手なて(現同県那賀町)の檜屋という女性の礼堂寄進などによって、現在地に寺院としての形態を整えたものと考えられる。

なお「三代実録」貞観一四年(八七二)八月一三日条に「紀伊国那賀郡人左少史正六位上伴連貞宗、父正六位上伴連益継等、改本居貫隷右京」とある益継・貞宗父子が「粉河寺縁起」に記される粉河寺別当系譜と一致することや、大和朝廷における大豪族大伴氏の一支族と思われる豪族が名草なくさ・那賀両郡に分布していることなどから、開創者と伝える大伴孔子古をその一族とし、粉河寺はこの地の豪族大伴氏の氏寺として創建されたとする見解もある。このような草創伝承をもった当寺は「帰依之者払災招福、恭敬之輩除病延命、是以都鄙道俗無不攀登、況乎国内(無脱カ)不参拝」と(粉河寺大率都婆建立縁起)、現世利益的な霊験のあらたかな寺としてしだいに世に喧伝され、「延喜式主税寮にも「粉河寺料四百束」とみえ、付近にある紀伊国分寺(現和歌山県打田町)金剛峯こんごうぶ(現同県高野町)と並んで国家の定額寺組織のなかに編入された。

〔寺内組織〕

延暦年間(七八二―八〇六)に孔子古の子船主が上丹生谷かみにうや村の丹生明神六社壇ろくしやだんに勧請し、寺内の鎮守としたと伝える(続風土記)。船主の子益継のとき俗別当という制度を設け、その子山雄は第二代俗別当となり、観音の夢告により貞観年中に東西の礼堂を建立したという(粉河寺縁起)

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改訂新版 世界大百科事典 「粉河寺」の意味・わかりやすい解説

粉河寺 (こかわでら)

和歌山県紀の川市の旧粉河町にある寺。山号は風猛山(かざらきさん)(古くは補陀落山とも号す)。天台宗三井寺,ついで延暦寺末。現在は粉河観音宗の本山。本尊は秘仏の千手観音。西国三十三所第3番札所。770年(宝亀1)大伴孔子古(くじこ)の創建と伝えられ,創建の事情と本尊の化身童男行者の霊験談が《粉河寺縁起》(国宝,鎌倉前期)の主題をなしている。《延喜式》には定額寺として所見する。《枕草子》194段〈寺は〉にその名が記され,藤原頼通が参詣し,《新猿楽記》や《梁塵秘抄》の今様歌にあらわれ,平維盛も参詣するなど,平安時代以来,観音の聖地として,また浄土信仰の高まりとともに観音浄土のほか弥勒浄土の聖地としても,貴賤の信仰をあつめた。平安時代後期には埋経供養も盛んに行われ,境内から経筒も出土している。中世では足利尊氏の生母果証院が当寺観音を信仰して尊氏を生んだといわれ,尊氏母子の信仰が著名である。中世末には山内に550坊があったといわれ,なかには心地覚心の高弟至一が誓度院をおこすなど禅宗への傾斜を示すものもあり,また当寺で《済民記》の開板が行われるなど文化活動も盛んであった。一方行人を中心とする僧兵の活躍も顕著で,戦国時代には,根来寺僧兵とならんで,泉州方面に活躍したが,1585年(天正13),豊臣秀吉によって,根来寺とともに焼討ちされた。近世には紀州徳川家の助成を受けたが,平安時代以来の寺領であった周辺諸村が,大伴孔子古の末裔と伝えられる方衆座(ほうじゆうざ)を中心に,近世にもたびたびあった火災後の復興をたすけ,さらに西国三十三所札所としての衆庶の幅広い信仰に支えられて,現在にいたっている。御詠歌〈ちちははの めぐみもふかき こかわでら ほとけのちかい たのもしのみや〉は浄瑠璃《傾城阿波の鳴門》に挿入されていることも,当寺の信仰を物語る。〈たのもしのみや〉(粉河産土神社)は境内の鎮守社。その祭礼粉河祭は,中世以来の伝統を伝える。
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百科事典マイペディア 「粉河寺」の意味・わかりやすい解説

粉河寺【こかわでら】

和歌山県紀の川市にある天台系粉河観音宗の本山。本尊千手観音にまつわる霊験譚が《粉河寺縁起絵巻》(国宝)に描かれる。《延喜式》に定額(じょうがく)寺として所見。《枕草子》・《新猿楽記》などに記され,観音の聖地として貴賤から信仰された。行人を中心とする僧兵の活動も盛んであったが,1585年豊臣秀吉によって焼打ちされた。境内の鎮守者の〈たのもしの宮〉(粉河産土神社)は,浄瑠璃《傾城阿波(けいせいあわ)の鳴門(なると)》に語られる。
→関連項目近木荘雑賀一揆西国三十三所名手荘

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「粉河寺」の意味・わかりやすい解説

粉河寺
こかわでら

和歌山県紀の川市粉河にある寺。風猛山(ふうもうざん)粉河寺と称するが、本来は補陀落山(ふだらくさん)施音寺(せおんじ)という。西国(さいごく)三十三所第3番札所。もとは天台宗であったが、現在は粉河観音(かんのん)宗。縁起によれば、770年(宝亀1)、観音の化身である童男(どうなん)行者が現れて刻した千手千眼観世音菩薩(かんぜおんぼさつ)(本尊)を、発願者の大伴孔子古(おおともくじこ)が草庵(そうあん)を結んで安置したのが開創という。鎌倉時代には七堂伽藍(がらん)、550坊、寺領4万石を有し、数千人の僧徒がいて隆盛を極めた。しかし1585年(天正13)の豊臣(とよとみ)秀吉の兵乱によって堂塔伽藍、寺宝のほとんどを焼失した。1619年(元和5)紀伊藩主徳川頼宣(よりのぶ)の助力を得て天海(てんかい)の弟天英が再興した。現在の大門、童男堂、中門などは徳川中期のものである。庭園は桃山時代の枯山水(かれさんすい)の石庭で、国指定名勝となっているほか、大和絵(やまとえ)画家の冷泉為恭(れいぜいためちか)が潜居した御池坊(本坊)の庭園、左甚五郎作という「門前の虎(とら)」などがある。寺宝の『粉河寺縁起』は国宝に指定されている。そのほか鬼子母神立像、不動明王坐像(ざぞう)など寺宝は多い。

[中山清田]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「粉河寺」の意味・わかりやすい解説

粉河寺
こかわでら

和歌山県紀の川市にある粉河観音宗の寺。西国三十三所の第3番札所。山号は風猛山 (ふうもうざん) 。宝亀1 (770) 年大伴孔子古 (おおとものくじこ) の創建といわれる。千手観音像が本尊。天台宗の寺院として,中世には僧兵を養い僧坊も 500余に達して栄えたが,天正 13 (1585) 年豊臣秀吉によって焼かれ,衰微した。国宝『粉河寺縁起絵巻』 (1巻) を伝える。

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旺文社日本史事典 三訂版 「粉河寺」の解説

粉河寺
こかわでら

和歌山県北部,那賀郡粉河町にある古寺
願成就院施音寺が本称。もとは天台宗,現在は独立して粉河観音宗。770年大伴孔子古 (くじこ) が創建。平安中期以後一般の信仰が厚く,室町時代には多くの僧兵を集めたが,近くの根来 (ねごろ) 寺とともに,1585年豊臣秀吉に焼き払われた。同寺本尊にまつわる説話を描いた『粉河寺縁起絵巻』は国宝。

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デジタル大辞泉プラス 「粉河寺」の解説

粉河(こかわ)寺

和歌山県紀の川市にある寺院。粉河観音宗総本山。山号は風猛山。もと天台宗。770年創建と伝わる。西国三十三所第3番札所。本尊は千手千眼観世音菩薩。国宝の粉河寺縁起絵巻、国指定名勝の庭園などが有名。

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事典・日本の観光資源 「粉河寺」の解説

粉河寺(第3番)

(和歌山県紀の川市)
西国三十三箇所」指定の観光名所。

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