和歌山県北部、那賀郡(ながぐん)にあった旧町名(粉河町(ちょう))。現在は紀の川市の東部を占める地域。旧粉河町は、1894年(明治27)町制施行。1955年(昭和30)長田(ながた)、竜門(りゅうもん)、川原(かわはら)の3村を合併、翌年鞆淵(ともぶち)村を編入。2005年(平成17)打田(うちた)、那賀、桃山(ももやま)、貴志川(きしがわ)の4町と合併、市制を施行して紀の川市となった。JR和歌山線と国道24号(大和(やまと)街道)が通じる。北部は和泉(いずみ)山脈、南は龍門山地で、中央を紀ノ川が西流する。中心の粉河地区は西国三十三所3番札所粉河寺の門前町として栄えた。『延喜式(えんぎしき)』には粉河寺のほかに鎌垣船(かまがきぶね)(鎌垣は粉河をさすという)のことが記載されており、古くから紀ノ川の河港でもあり、北岸を通る大和街道の宿場でもあった。江戸時代には粉河鍛冶(かじ)町に釣鐘など鋳物工業もおこり、厄除(やくよ)けの長田観音とともに粉河参りで栄えた。竜門地区には柑橘(かんきつ)類の栽培地が広がる。『紙本著色粉河寺縁起』、鞆淵八幡(はちまん)の沃懸地螺鈿金銅装神輿(いかけじらでんどうそうしんよ)は国宝に指定され、粉河寺庭園は国指定名勝。
[小池洋一]
『『粉河町史』全5巻(1986~2003・粉河町)』
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…紀伊国那賀郡(現,和歌山県那賀郡那賀町,粉河町)の荘園。もと藤原頼貞の私領であったが,所領経営に失敗し,1064年(康平7)石清水(いわしみず)八幡宮寺に寄進された。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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