日本歴史地名大系 「粟生野村」の解説 粟生野村あおのむら 千葉県:茂原市粟生野村[現在地名]茂原市粟生野弓渡(ゆみわたし)村の東に位置し、北端を小中(こなか)川が東流して南流する南白亀(なばき)川に合流している。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳に粟生野村とみえ、高六七三石。「土気古城再興伝来記」によると、土気(とけ)城(現千葉市緑区)城主酒井康治の次男庄三郎直治は徳川家康に召出されたのち、「上総国粟生野村・二日当村・千沢村千石」を知行したという。寛文一二年(一六七二)の検地帳(秋葉家文書)によれば、山辺(やまべ)郡に所属していた。寛政五年(一七九三)の上総国村高帳では長柄(ながら)郡に所属し、高九一九石余、幕府領と旗本松平・石谷・曲淵・河野領の相給で、家数一一九。領主は以後変化なく幕末に至ったと思われる(旧高旧領取調帳など)。享保一三年(一七二八)の長柄郡粟生野村検地帳(森川家文書)によると、五一石余の新田が打出されている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報