粟田道麻呂 あわたの-みちまろ
?-765 奈良時代の公卿(くぎょう)。
内薬佑,参議,式部大輔をへて,因幡守となる。天平神護(てんぴょうじんご)元年和気(わけ)王と謀反をくわだて発覚,飛騨員外介にうつされるが,恨みをもつ上道斐太都(かみつみちの-ひたつ)が飛騨守となったため幽閉され,同年死亡。唐(とう)(中国)にわたり破陣楽を日本につたえたとされる同名の人物がいるが,同一人かどうかは不明。禾田道万呂ともいう。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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