朝日日本歴史人物事典 「上道斐太都」の解説
上道斐太都
生年:生年不詳
奈良時代の官人。備前国上道郡(岡山市)の出身。都で中衛舎人(内裏を守る軍隊)として勤務していたが,天平宝字1(757)年7月藤原仲麻呂へ橘奈良麻呂に謀反の計画があることを告げた。その功績によって,従四位下,朝臣を授けられ,中衛少将に任命された。その年の末には功績によって田20町も授けられている。以後,美濃守,右勇士督,備前守を歴任し,さらに淳仁天皇の側近として中宮院に侍した。仲麻呂政権下では重用されたらしい。また出身地方の吉備国造,のち備前国造などにも任命されている。仲麻呂に接近して昇進をはかったのは,同じ吉備地方出身の下道真備(吉備真備)が中央官界ですでに出世していたことへの上道氏の対抗意識があったかもしれない。
(鬼頭清明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報