上道斐太都(読み)かみつみちのひたつ

朝日日本歴史人物事典 「上道斐太都」の解説

上道斐太都

没年神護景雲1.9(767)
生年:生年不詳
奈良時代の官人。備前国上道郡(岡山市)の出身。都で中衛舎人(内裏を守る軍隊)として勤務していたが,天平宝字1(757)年7月藤原仲麻呂橘奈良麻呂謀反の計画があることを告げた。その功績によって,従四位下,朝臣を授けられ,中衛少将に任命された。その年の末には功績によって田20町も授けられている。以後,美濃守,右勇士督,備前守を歴任し,さらに淳仁天皇の側近として中宮院に侍した。仲麻呂政権下では重用されたらしい。また出身地方の吉備国造,のち備前国造などにも任命されている。仲麻呂に接近して昇進をはかったのは,同じ吉備地方出身の下道真備(吉備真備)が中央官界ですでに出世していたことへの上道氏の対抗意識があったかもしれない。

(鬼頭清明)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上道斐太都」の解説

上道斐太都 かみつみちの-ひたつ

?-767 奈良時代の官吏
天平勝宝(てんぴょうしょうほう)9年橘奈良麻呂の謀反を藤原仲麻呂に密告した功で中衛少将となる。ついで吉備国造,中宮大夫に任じられ,さらに諸国国司を歴任。神護景雲(じんごけいうん)元年9月23日死去。備前(岡山県)出身。名はのち正道。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の上道斐太都の言及

【吉備】より

…大化改新後700年(文武4)まで吉備全域と播磨を含む統轄官として吉備大宰が置かれたが,壬申の乱後に備前,備中,備後の3国,713年(和銅6)に備前から美作が分立し,政治組織としても一体性を失った。757年(天平宝字1)に上道斐太都(ひだつ)に吉備国造の称号が付与されたのが,かつての吉備の一体性を伝える最後の事例である。【吉田 晶】。…

【吉備氏】より

…多くは国造や郡司などの在地の有力豪族であったが,中央貴族として立身したものも少なくない。笠垂は古人大兄皇子の反を告げて出身し,上道斐太都(ひだつ)は橘奈良麻呂の乱に功があった。下道真備(まきび)が吉備真備として活躍したことは有名。…

【橘奈良麻呂の変】より

…この6月中に,一党は奈良麻呂の家や図書寮辺の庭,太政官院の庭などで密談をくりかえしている。しかし密告があいつぎ,とくに7月2日の上道斐太都(かみつみちのひだつ)の密告によって,仲麻呂は機先を制して一党を逮捕した。すぐさま訊問が行われ,黄文(きぶみ)王,道祖王,大伴古麻呂,小野東人,多治比犢養(たじひのこうしかい),賀茂角足らの中心人物は拷問によって杖下に死し,安宿(あすかべ)王大伴古慈斐(こじひ)その他多数が流罪に処された。…

※「上道斐太都」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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