中国、唐代盛期の詩人。「こうてき」とも読む。字(あざな)は達夫。滄州(そうしゅう)(河北省)の人。豪放な性格で、若いときには生業に従わず、河南に放浪して李白(りはく)、杜甫(とほ)と交わった。40歳のころ有道科に推挙されて封丘(河南省)の尉となり、安禄山(あんろくざん)の乱後には彭(ほう)州、蜀(しょく)州(ともに四川(しせん)省)の刺史(しし)として、成都に流れてきていた杜甫と旧交を温めた。のちに剣南節度使を経て、刑部侍郎、散騎常侍(さんきじょうじ)に進んだ。その詩は豪壮にして沈痛、辺境の苦しみや戦争の悲惨さを詠じた辺塞詩(へんさいし)に長じ、岑参(しんしん)とともに盛唐詩の一面を代表する。『高常侍集』8巻には240余編の詩と21編の散文を収める。『新唐書』の伝に、50歳を過ぎて詩を学んだとあるのは誤伝である。
[黒川洋一]
『鈴木修次著『唐代詩人論 上』(1973・鳳出版)』▽『小川環樹編『唐代の詩人――その伝記』(1975・大修館書店)』
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… 青年時代各地を漫遊し,744年(天宝3)洛陽ですでに名だたる詩人であった李白と出会い,権威に媚びないその自由な精神に強くひきつけられた。奔放と謹厳という好対照の性格をもつ2人の友情はこれ以後生涯変わらず,さらにこの時期に出会った高適(こうせき)を加えて,3人で過ごした日々は杜甫にとって生涯にわたる貴重な思い出となった。751年〈三大礼の賦〉が玄宗の賞賛を得るが,なかなか官職にはつけず,貧窮のため妻子との別居を余儀なくされ,755年ようやく微職を得たが,安禄山の反乱によってすべてを失った。…
※「高適」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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