…さらに41年(興国2∥暦応4)の藤氏一揆は親房を悩ませた。それは,前関白近衛経忠が藤原氏子孫の小山氏や常陸の小田氏,結城氏に働きかけ,いわゆる藤原同盟を結成し,経忠自身が天下の政権をとり,小山朝郷(朝氏)が〈坂東管領〉になるという構想であり,明らかに南朝でも北朝でもない第三王朝の建設を目ざしたものである。この構想は46年(正平1∥貞和2)小山朝郷の死で実現に至らなかったが,動乱の最中における注目すべき動向であった。…
※「近衛経忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
その議会の過半数には達しないが、議席数をもっとも多くもつ政党。...