近衛経忠(読み)このえ つねただ

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「近衛経忠」の解説

近衛経忠 このえ-つねただ

1302-1352 鎌倉-南北朝時代の公卿(くぎょう)。
乾元(けんげん)元年生まれ。近衛家平(いえひら)の子。元徳2年(1330)関白となるが,同年辞任。建武(けんむ)元年(1334)右大臣,氏長者となり,2年左大臣。光明(こうみょう)天皇即位とともに関白に再任されるが,従弟(いとこ)近衛基嗣(もとつぐ)に家督争いで敗れ,吉野で南朝につかえた。従一位。観応(かんのう)3=正平(しょうへい)7年8月13日死去。51歳。通称は堀河関白。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の近衛経忠の言及

【下野国】より

…さらに41年(興国2∥暦応4)の藤氏一揆は親房を悩ませた。それは,前関白近衛経忠が藤原氏子孫の小山氏や常陸の小田氏,結城氏に働きかけ,いわゆる藤原同盟を結成し,経忠自身が天下の政権をとり,小山朝郷(朝氏)が〈坂東管領〉になるという構想であり,明らかに南朝でも北朝でもない第三王朝の建設を目ざしたものである。この構想は46年(正平1∥貞和2)小山朝郷の死で実現に至らなかったが,動乱の最中における注目すべき動向であった。…

※「近衛経忠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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