糠沢村(読み)ぬかざわむら

日本歴史地名大系 「糠沢村」の解説

糠沢村
ぬかざわむら

[現在地名]白沢村糠沢

和田わだ村の南、白岩しらいわ村の西に位置し、中央をなか川が南流する。西は北流する阿武隈川を隔てて仁井田にいだ(現本宮町)、南は鬼生田おにゆうだ(現郡山市)。「相生集」に「往古糠依姫といふものの住たる所なる故に糠よりを転じて今の名とす」とあり、字耕網こうあみにある糠池の中央に糠依姫の山陵といわれる糠塚がある。天正一三年(一五八五)一一月、佐竹・岩城・石川・白川氏らの連合軍が須賀川へ出陣し、安積あさか郡の伊達氏側の城が攻撃されたため、当時渋川しぶかわ(現安達町)に配置されていた伊達成実は、小浜おばま(現岩代町)を経て岩津野いわつので伊達政宗と会い、その夜「糠沢」に陣を置いて決戦に備えた(政宗記)


糠沢村
ぬかざわむら

[現在地名]鷹巣町綴子 糠沢

鷹巣盆地東端部、南流して米代川に注ぐ糠沢川流域に位置する。羽州街道に沿い、西は綴子つづれこ村。慶長二年(一五九七)の浅利頼平領内村数覚書(秋田家文書)に「ぬかさわ 畠 家まへハ七 今ハなし」とみえる。中世を通じ浅利氏領であったが、天正期(一五七三―九二)中頃安東(秋田)氏に包摂される。

享保一五年(一七三〇)の「六郡郡邑記」に「貞享四卯年より上り地に成、家九軒」とあり、枝郷として糠沢羽立ぬかざわはだち二〇軒、堤羽立つつみはだち(村居なし)大畑おおはた一四軒、二本杉にほんすぎ一一軒、松原まつばら(「ツヅリコの内」人居なし)岩谷いわや七軒一通いつとおり二軒、田子たごさわ一四軒、小田おだ(ツヅリコの内)一六軒などの村々が記載される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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