日本歴史地名大系 「紅雲分村」の解説 紅雲分村こううんぶんむら 群馬県:前橋市紅雲分村[現在地名]前橋市紅雲町(こううんちよう)一―二丁目・南町(みなみちよう)一丁目・表町(おもてちよう)一丁目北は前橋城下に接し、東は堀川(ほりかわ)町・前代田(まえしろた)村、南は宗甫分(そうほぶん)村で、西の利根川対岸は内藤分(ないとうぶん)村である。「国志」に「柿の宮村なり」とあり、前橋城の南端の柿宮(かきのみや)曲輪・柿宮門はこの地名からおこったものと考えられる。「郡村誌」には「元柿之宮村ト称シ、貞享ノ頃宗甫分村ヲ分チ紅雲分ト改称ス」とある。すでに寛文郷帳には紅雲分村・宗甫分村の村名がある。「分」は所領を示し、おそらく戦国時代後半に小田原北条氏麾下の武将の出家名による村名であろう。寛文郷帳に田方二五一石四斗余・畑方三六四石四斗余とある。享保一一年(一七二六)の検地帳(前橋市役所蔵)では田方一〇町四反余・畑方一六町三反余である。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by