朝日日本歴史人物事典 「結城無二三」の解説
結城無二三
生年:弘化2.4.17(1845.5.22)
幕末維新期,京都見廻組と新選組に在籍。坂本竜馬を斬ったのは見廻組今井信郎と語り残したクリスチャン。医者古屋景仲の子。名は景祐,幼名米太郎,通称ははじめ有無之助。元治1(1864)年水戸天狗党の処刑を越前敦賀に見届け,長州再征時は大砲組に編入され,竹中丹後守重固のもと出征。慶応3(1867)年11月18日七条油小路における伊東甲子太郎襲撃の一員であったという。江戸引き揚げ後,甲陽鎮撫隊の地理嚮導兼大砲指図役として兵士募集に奔走したが,帰隊できず沼津に謹慎。ただし新選組在籍の名簿はなく,身分の真偽は訝しい。<参考文献>結城礼一郎『旧幕新撰組の結城無二三』
(釣洋一)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報