山梨(読み)やまなし

精選版 日本国語大辞典 「山梨」の意味・読み・例文・類語

やま‐なし【山梨】

[1] 〘名〙
① バラ科の落葉高木。本州の関東以西、四国、九州の山地に生える。高さは一〇~一五メートル。葉は互生し、長さ七~一二センチメートルの卵形で先端はとがり、縁に細鋸歯(きょし)がある。四月ごろ枝先に白色の五弁花を散房状につける。果実は球形の梨果で熟すと褐色になる。やまりんご。《季・秋》 〔十巻本和名抄(934頃)〕
※枕(10C終)四〇「葉のいみじうこまかにちひさきがをかしきなり。楝の木。山橘。山なしの木」
② 植物「ずみ(桷)」の異名。〔大慈恩寺三蔵法師伝永久四年点(1116)〕
※落窪(10C後)一「いかで堪へ侍らむとの給へば、女、山なしにてこそはといらふ」
[2]
[一] 山梨県中部の地名。笛吹川が貫流。かつては米作・養蚕地帯であったが、現在はブドウ・モモの果樹栽培がさかん。上代から知られた名所差出ノ磯、清白寺仏殿(国宝)、窪八幡神社などがある。昭和二九年(一九五四)市制。
[二] 甲斐国・山梨県の旧郡名。明治一一年(一八七八)東西二郡に分かれた。西山梨郡の全域は甲府市に含まれ、東山梨郡域にも、山梨市、塩山市が市制。

やまなし【山梨】

姓氏の一つ。

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デジタル大辞泉 「山梨」の意味・読み・例文・類語

やまなし【山梨】

中部地方南東部の県。県庁所在地は甲府市。もとの甲斐かい国にあたる。人口86.3万(2010)。
山梨県中北部の市。笛吹川の上流域。ブドウ・桃の栽培が盛ん。人口3.7万(2010)。

やま‐なし【山梨】

バラ科の落葉高木。山地に生え、葉は卵形で先がとがり、互生する。4月ごろ、白い5弁花が咲き、ナシに似た小さい実がなるが、食用にはならない。やまりんご。 秋 花=春》「―の花まづ白くかひ夜明/蓼汀」
ズミの別名。

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改訂新版 世界大百科事典 「山梨」の意味・わかりやすい解説

山梨[県] (やまなし)

基本情報
面積=4465.37km2(全国32位) 
人口(2010)=86万3075人(全国41位) 
人口密度(2010)=193.3人/km2(全国31位) 
市町村(2011.10)=13市8町6村 
県庁所在地=甲府市(人口=19万8992人) 
県花フジザクラ 
県木=カエデ 
県鳥=ウグイス

中部地方の東部に位置する内陸県。東京都,埼玉県,長野県,静岡県,神奈川県に接する。

県域はかつての甲斐国全域にあたる。同国は江戸中期以降ほぼ一円天領化されて,甲府は甲府勤番支配,村方は甲府,市川,石和(いさわ)の三部代官の支配下にあり,わずかに置かれていた田安,一橋,清水の三卿領も,明治維新期まで存続したのは田安領の陣屋のみであった。1866年(慶応2)甲府勤番支配が廃されて甲府城代が置かれた。68年(明治1)明治政府は甲府に甲斐鎮撫府を置き,次いで三部代官に代えて府中,市川,石和の3県を置き,まもなく甲斐鎮撫府と3県を廃して甲斐府とした。翌年甲斐府は甲府県と改称。70年には田安領を併合して甲府全域を管轄下に置き,さらに翌71年山梨県と改めて現在に至っている。

先縄文時代の遺跡としては,天神堂遺跡(南巨摩郡南部町)がある。礫群10ヵ所を検出し,ナイフ形石器などが出土している。

 縄文時代では,早期末の30余の住居址や中期の大集落址で有名な釈迦堂遺跡(甲州市,笛吹市)がある。なかでも三口神平(さんこうじんだいら)地区では広場を囲んで中期中葉の200もの住居址が弧状に存在し,土器捨場を中心に500点以上もの土偶が出土した。中には珍しい男性土偶や土笛,土鈴,それに人間と犬の合葬墓や,骨粉と土製円板の入った逆位底部穿孔土器などが出土している。天神遺跡(北杜市)も前期末~中期初の大集落。480余の土壙群を取り囲むように,数十の住居址が発見されている。ほかにも前期から中期の集落址は多い。これに比べると後期は集落数が激減するが,青木遺跡(北杜市)では集落と石棺墓群などが発見されている。金生(きんせい)遺跡(北杜市)は八ヶ岳南麓に広がる縄文晩期の大遺跡である。竪穴住居址群をはさんで,その南側には直立する石棒を中心とする円形の配石遺構や高さ1.5mもの立石などが,あたかも祭壇のように並び,一方,北側には組石石棺墓群が広がる。遺物は土偶,耳飾,石剣,シカの焼骨などである。

 弥生時代では,中期の牛石(うしいし)遺跡(都留市)や後期の金の尾遺跡(甲斐市)などがある。後者では住居址32,周溝墓17が出土している。上の平(うえのだいら)遺跡(甲府市)では,台地上に100基以上の方形周溝墓群があり,なかには1辺30m以上という,全国でも最大規模のものもある。東国の古墳時代前夜の墓制を知るうえできわめて重要である。

 中道銚子塚古墳(甲府市。銚子塚古墳)は全長167mと甲府盆地で最大の規模を誇る前方後円墳で,4世紀後葉の,畿内的色彩の濃い古墳として知られる。大丸山(おおまるやま)古墳(甲府市)は全長99mの前期の前方後円墳。前期古墳としては他に小平沢(こひらざわ)古墳(甲府市)などがある。姥塚(うばづか)古墳(笛吹市)は6世紀中葉ごろ,径約40mの円墳。安山岩を乱積した,東日本で最大という奥行17.3mの横穴式石室をもつ。付近には弥生時代末~平安時代末の住居址550軒が発見された二の宮・姥塚遺跡もある。後期古墳はほかにも大塚古墳(西八代郡市川三郷町)や横根の積石塚群(甲府市)など多数がある。

 寺本廃寺(笛吹市)は7世紀後半ごろ建立の甲斐最古の寺院址。奈良時代では大月遺跡(大月市)などの集落址,平安時代では柏尾山(かしおやま)経塚(甲府市)などがある。
甲斐国
執筆者:

日本を南北に分かつ地溝帯(フォッサマグナ)の地域にあり,高山や火山に囲まれた山峡(やまかい)の国である。南には日本一の高峰富士山(3776m),北には開析された火山八ヶ岳(2899m)が広いすそ野を広げ,西には日本第2の高峰北岳(3193m)をもつ赤石山脈(南アルプス)が連なり,東部の桂川流域の郡内地方も御坂(みさか),丹沢の山なみにその面積の大半を占められている。県中央に位置する甲府盆地には,北東から笛吹(ふえふき)川,北西から釜無(かまなし)川が流入し,南西部で合流して富士川となり,駿河湾に注いでいる。甲府盆地は県内唯一のまとまった平地で,古代以来甲斐の中心的な地位を占めてきたため,周辺地域を含めて国中(くになか)と呼ばれてきた。しかし甲府盆地を含めた平地も扇状地や河岸段丘が広く,肥沃な沖積地は少ない。気候は甲府盆地では内陸性気候を示して寒暑の差が大きく,降水量は比較的少ない。富士山や八ヶ岳の標高1000m内外の山麓は夏でも気温が低いため避暑地として利用されている。山梨県は居住や農耕には厳しい自然ということができる。このような自然条件を克服して戦国時代の武田信玄による治水事業以降本格的な開発が進み,近世の灌漑用水路の開削や新田開発,明治期以降の養蚕,第2次大戦後の果樹栽培など,多くの努力が続けられてきた。

山梨県の農業の中心は甲府盆地で,南西部の釜無川と笛吹川の合流点近くは古くからの水田地帯をなし,周辺の扇状地には果樹園が広がる。ここは日本でも有数の果樹地帯であり,ブドウ,モモの生産では1940年代以降全国一の収穫を誇っていたが,1995年にはともに約3割のシェアを占めるものの,モモは岡山(約5割)に次いで2位である。県全体の土地利用の構成では水田34%,果樹園46%,普通畑17%(1995)と,果樹園面積が水田面積をこえており,なかでも甲府盆地東半では果樹園が約7割と圧倒的に多い。果樹園面積のうちブドウが37%,モモが22%と主力をなし,以下スモモ,ウメの順である。

 日本のブドウ栽培は,1186年(文治2)雨宮勘解由(かげゆ)によって勝沼で始められたのが最初とされ,甲府盆地の気候と扇状地の土壌が適していたため,近世には周辺にも広がった。明治末には岡山からモモが導入されたが,大正期までは盆地の農業は米作と養蚕が主流であった。ブドウ,モモの栽培が本格的になったのは昭和初期からで,1960年代以降桑園に代わって果樹園が急増した。果樹栽培地域は盆地東部の笛吹市の旧一宮町,甲州市の旧勝沼町を中心とした峡東地区と,西部の南アルプス市の旧白根町,旧櫛形町を中心とした峡西地区とに分けられ,峡東はブドウとモモ,峡西はモモとスモモが多い。果樹農家の主力は専業農家で,また兼業農家でも畑のほとんどを果樹園にしている場合が多く,峡東地区の核心地帯ではほぼ全域が果樹園で占められている。しかし,1戸当りの経営面積は専業農家でも1ha以下と小さいため,集約的農業が行われている。果実の出荷先は京浜地方が約4割,京阪神地方が1~2割を占める。またブドウ収穫量のうち2割弱(1995)がワインなどの醸造用にまわされる。

 果樹以外では畜産,高冷地野菜栽培などがいずれも盆地周辺の丘陵地や山麓部で行われているが,規模は小さい。林業は県面積の8割が山林であるが,山林の約半分は県有林で民有林は少ない。この県有林は明治時代の御料林が,大正初めに県有林に移管されたもので,富士山の北麓,八ヶ岳の山麓部などに広大な範囲を占めているため民有地が少なく,概して民間の林業は振るわない。しかし,富士川の下流域では温暖多雨なため杉,ヒノキが植林され,美林地帯をつくっている。

富士山北麓から桂川流域にかけてのいわゆる郡内地方では近世以来甲斐絹(かいき)と呼ばれる絹織物業が農家の副業として盛んであったが,現在もこの地方ではその伝統を継いで機業が各地で行われている。しかし,最近は需要の停滞や小企業からなるための生産性の低さなどからあまり振るわない。その他の地場産業としては盆地南部の峡南地区に和紙(市川三郷町の旧市川大門町),印章(市川三郷町の旧六郷町,身延町の旧下部町),雨畑硯(あめはたすずり)の名で知られる硯(身延町の旧中富町,早川町)などがある。とくに印章の生産はこの地方で全国の約7割を占めており,その販売が外交員による全国的な行商と通信販売によっている点に特色がある。甲府周辺は近世以来,北部の山地で採掘された水晶を細工して印章づくりなどが盛んだったところで,明治以降は輸入原石に依存して生産が続けられた。硯製造にも生かされたその研磨技術は,現在ではさらに発展して貴金属加工業の全国的中心地ともなっている。またブドウ栽培と関連するワインの醸造は,明治初年から行われていたが,急速に発展したのは第2次大戦後で,県全体の製成量は1995年には全国の約4割を占めている。一般の工業では戦前までは養蚕業と関連して製糸業が各地で行われていたが,戦後は衰退し,代わって電機,電子,精密機械などの工場が1965年以降進出した。特に異色なのはロボット工場の進出で,ロボットを製作するためのロボットが活躍する工場もあり,時代の最先端を行く工場として注目されている。しかし,工場数は増加したもののその多くは部品製造の下請工場で占められており,従業員300人以上の大工場は約1%(1995)と少ない。

 南に富士山を中心とした富士箱根伊豆,西に南アルプス,北に秩父多摩の三つの国立公園をもち,北西部には八ヶ岳中信高原国定公園のある山梨県は,京浜地方にも近く,日本の代表的な観光県である。山中湖,河口湖,西(さい)湖,精進(しようじ)湖,本栖(もとす)湖の富士五湖をいだく富士山北麓は,その壮大な景観と涼しい夏の気候が多くの人々を集めており,また富士登山の基地でもある。南アルプス,八ヶ岳も3000m級の高峰をもち,登山愛好者のメッカとなっている。また八ヶ岳南東麓の清里高原は戦後に発展した新しい観光地で,野辺山(のべやま)(1346m),清里(1274m)などJR線最高所の駅を走る小海線とともに若い人々に人気がある。

 温泉も豊富で,峡南地方の下部(しもべ)温泉や峡北の金峰山山麓にあってラジウム含有量の高いことで名高い増富温泉をはじめ,甲府市近郊の湯村温泉,1961年に温泉が湧出して以来急速に発展して一大温泉郷となった石和(いさわ)温泉などがある。峡谷美では甲府市北郊の御岳(みたけ)昇仙峡(特名),笛吹川上流の西沢渓谷,釣場としても知られる桂川渓谷,南アルプスの野呂川流域の白凰渓谷などがある。また,果樹地帯ではモモの花咲く春とブドウの実る秋,沿道がにぎわいを見せる。県内には日蓮宗の総本山身延山久遠(くおん)寺のほか,武田信玄ゆかりの史跡が各地にある。1910年中央本線,28年身延線が全通したほか,29年富士急行電鉄,82年中央自動車道が全通して主要市町および各観光地の近くを通るようになり,東京や名古屋との時間距離が短縮された。

山梨県は,自然条件,歴史的背景,都市との結びつきなどから国中地方と郡内地方に区分される。

(1)国中地方 富士川流域の甲府盆地とその周辺からなり,四方を山岳で囲まれた典型的なすり鉢状の地形を示し,ほぼ中央に甲斐国の中心をなしてきた甲府盆地が広がる。国中地方は甲府市とその都市圏を基点として峡東,峡南,峡西,峡北の4地区に区分されるが,甲府市の勢力圏は広く国中地方全域に及んでいる。峡東は笛吹川流域の果樹地帯で占められ,甲州市の旧塩山市,山梨市などの小中心都市がある。峡南は富士川下流の峡谷部で身延山,下部温泉などの観光地をもつ。峡西は南アルプスから流下する御勅使(みだい)川の作った大扇状地を中心にする地区で養蚕から果樹へ転換した農村部を主体とする。そして峡北は八ヶ岳山麓および釜無川河谷地方からなり,米作,果樹を主体とした農村が多く,中心都市は甲府盆地に接したところに位置する南端の韮崎(にらさき)市である。

(2)郡内地方 西を大菩薩峠,笹子峠,御坂峠などで国中地方と境され,御坂・丹沢両山地に囲まれて高冷地が広く,農耕や居住には条件の悪い地域である。郡内地方はさらに富士北麓部と桂川流域地区,多摩川最上流部に区分される。富士北麓部は富士五湖周辺の高冷地で,その中心は県内第2の人口をもつ富士吉田市であり,桂川流域には都留(つる)市,大月市などの小都市がある。甲斐絹(郡内機業)で知られる機業は富士吉田市周辺から桂川流域で行われるが,桂川流域地区は交通の便がよいことから最近は東京への通勤者も多くなり,首都圏の一部としての性格が強くなりつつある。多摩川最上流部は鉄道交通の便は悪いが,県内よりは青梅(おうめ)街道によって東京都の奥多摩地方と結ばれ,古くから東京との交流の盛んなところである。また,丹沢山地にある道志村は相模川の支流道志川に沿った山村で,下流部の神奈川県との交流の強い地域である。
執筆者:


山梨[市] (やまなし)

山梨県北部の市。東で甲州(こうしゆう)市,西で甲府市に接する。2005年3月旧山梨市と牧丘(まきおか)町,三富(みとみ)村が合体して成立した。人口3万6832(2010)。

山梨市中部の旧町。旧東山梨郡所属。人口5920(2000)。秩父山地南斜面に位置し,笛吹川上流西岸を占める。笛吹川とその支流琴川,鼓川の流域に耕地が開けるが,町域の大部分を山林が占めている。中世には牧荘に含まれ,安田氏,二階堂氏の支配下にあった。農業が中心の町で,かつては養蚕が主流であったが,昭和30年代から果樹栽培が増え,特にブドウ栽培が伸びている。また古くからのコンニャク生産も行われる。北部の一部分は秩父多摩国立公園に属し,中部には小楢山(1713m)やスキー場としても知られる乙女高原がある。国道140号線が通じる。

山梨市北東部の旧村。旧東山梨郡所属。人口1372(2000)。笛吹川上流域を占め,国道140号線(秩父往還)が通じる。村域の大部分が山林で,耕地は急傾斜地にあっておもに桑園に利用されてきたが,近年はブドウなどの果樹生産や花卉栽培へ移行した。また観光と結びついたイノブタ飼育やシイタケ,シメジの栽培が行われる。北部山岳地帯は秩父多摩国立公園に指定され,笛吹川上流の西沢渓谷や広瀬ダム,奥秩父ハイキングコースの乾徳(けんとく)山がある。川浦温泉(単純泉,47℃)をはじめ温泉も多い。
執筆者:

山梨市南部の旧市で,甲府盆地の北東部にある。1954年市制。人口3万2505(2000)。市域の主要部は笛吹川扇状地上にあり,かつては米作・養蚕地帯であったが,1950年代後半からブドウ,モモの栽培に転じ,隣町の勝沼(現,甲州市),一宮(現,笛吹市)とともに果樹地帯となっている。とくに西部の旧山梨村地区は南向きの山麓斜面を開墾してビニルハウスによるブドウの促成栽培が行われている。JR中央本線山梨市駅のある加納岩(かのいわ)地区と明治以降官公署の集まっていた日下部(くさかべ)地区の二つの中心地があったが,新都市計画により2地区は統合された。工業はブドウ酒醸造のほか,電機,精密機器などの工場も進出している。笛吹河畔には古歌で名高い〈差出の磯〉や老松の万力(まんりき)林などの景勝地があり,後屋敷(ごやしき)地区にある清白寺仏殿は典型的な唐様建築で国宝に指定されている。
執筆者:

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動植物名よみかた辞典 普及版 「山梨」の解説

山梨 (ヤマナシ)

学名:Pyrus pyrifolia
植物。バラ科の落葉高木

山梨 (ヤマナシ)

植物。バラ科の落葉高木,園芸植物。ザイフリボクの別称

山梨 (ヤマナシ)

植物。サルナシ科の落葉つる植物。サルナシの別称

山梨 (ヤマナシ)

植物。バラ科の落葉小低木,園芸植物。ズミの別称

山梨 (ヤマナシ)

植物。バラ科の落葉高木。ウラジロノキの別称

山梨 (ヤマナシ)

植物。バラ科の落葉大高木。オオズミの別称

出典 日外アソシエーツ「動植物名よみかた辞典 普及版」動植物名よみかた辞典 普及版について 情報

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