継橋郷(読み)つぎはしごう

日本歴史地名大系 「継橋郷」の解説

継橋郷
つぎはしごう

和名抄」高山寺本は「津岐波之」、東急本は「都木波之」の訓を付す。「倭姫命世記」裏書の「伊勢国風土記」逸文に「賀利佐に到る時に、大国玉の神、使を遣りて天日別命を迎へ奉りき、因りて其の橋を造らしむるに造り畢へ堪へざる時に到りければ、梓弓を以ちて橋と為して度らしめき、爰に大国玉の神、弥豆佐々良姫命を資し参来て、土橋の郷の岡本の邑に迎へ相ひき」とみえる。貞和二年(一三四六)一二月一六日の比丘尼如日田地売券(光明寺古文書)に「ついはしのかうのうちまゑた」と仮名書きされる。「外宮神領目録」には諸郷祭料として「四石継橋郷近年有名無実、此外上分米三石」、「神鳳鈔」には「継橋郷」とみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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