「日本書紀」天孫降臨段の一書によると、田彦神が天鈿女の問いに「吾は伊勢の狭長田の五十鈴の川上に到るべし」と答えている。この「五十鈴の川上」には、のちに天照大神の鎮座により斎宮が置かれる(垂仁天皇二五年三月一〇日条)。「倭姫命世記」には倭姫命が神霊を鎮祭すべき「吉宮処」を求めて「佐古久志呂宇遅之五十鈴乃河上」に至るまでが詳述されるが、「猿田彦神裔宇治土公祖大田命」が「五十鈴之河上者、是大日本国之中仁殊勝霊地侍奈利」と述べ、昔、天上より大神が投下した「天之逆太刀、逆鉾、金鈴等」がそこにあったと記している。
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三重県中東部,伊勢市のほぼ中央を南から北へ貫流する川。志摩半島のほぼ中央やや南よりの剣峠(343m)に源を発し,神路(かみじ)山東麓を経て伊勢神宮(内宮)域を通り,河口近くで分流しその一つは汐合(しあい)川といわれる感潮河川となって伊勢湾に流入する。御裳濯(みもすそ)川,宇治川などとも称される。全長24km,流域面積85km2。上流では大滝・小滝の飛瀑や,鮑石,牛石,鏡石,竈淵(かまふち)などの奇岩があって美しい峡谷をなしている。中流では内宮域を流れ,その清流は手水場やみそぎ場となり,参道には宇治橋が架けられ神宮と一体の景観をなしている。上流には高麗広(こうらいびろ)(伊勢市)の村落があり,かつて神宮に奉仕する人々が多く居住していた。流域の山林は神宮林であるためよく管理され,日本に残された数少ない照葉樹林で約5500haに及び,このうち1700haが原生林である。
執筆者:藤本 利治
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三重県中東部、伊勢市(いせし)を流れる川。志摩半島の中央、伊勢市南部の山地に源を発し、北流して伊勢市の南東、皇大神宮(こうたいじんぐう)(伊勢神宮内宮(ないくう))の神域を貫流し、河口付近で二つに分かれ伊勢湾に注ぐ。延長12キロメートルの小さな川であるが、皇大神宮への入口で宇治橋が架かり、そのすぐ上流が御手洗(みたらい)であるところから広く知られる。清澄な急流に深い緑を映し、コイが泳ぐこのあたりは内宮でももっとも神々しく、倭姫命(やまとひめのみこと)がこの川で御裳(みも)を洗い清めた故事から御裳濯(みもすそ)川ともいう。上流は神路(かみじ)山を含む5420ヘクタールの神宮御料林の原生林で、五十鈴川の清流の涵養(かんよう)林であるとともに、日本固有の暖地性混交林として植物生態学上貴重である。市民の上水道としても重要で、1日2万5000トンが取水されている。
[伊藤達雄]
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…《日本書紀》によると,崇神天皇のとき,それまで皇居の中に祭られていた八咫鏡を,その神威を恐れて大和の笠縫邑に移すこととしたが,次の垂仁天皇の代に,皇女倭姫(やまとひめ)命を大神につけ,鎮座にふさわしい土地を求めさせた。倭姫命は近江,美濃などを巡歴した後,伊勢国の五十鈴(いすず)川上に至り,そこに宮を建てたのが内宮のおこりであるという。他方,外宮は,《止由気(とゆけ)宮儀式帳》(《延暦儀式帳》)などによると,雄略天皇の代に,皇大神宮の神饌を供進する神として豊受大御神を,丹波国与謝郡比沼(治)真奈井原から迎え,山田原の宮に祭ったことにはじまるという。…
※「五十鈴川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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