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伊勢国 いせのくに

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

伊勢国
いせのくに

現在の三重県の大半。東海道の一国。大国。もと伊勢国造および度会 (わたらひ) などの県主があった。初め伊賀国,志摩国を合せていたが,天武8 (679) 年に分国。伊勢神宮鎮座のため行政上でも特殊な立場にあった。国府は鈴鹿市国府町,国分寺は同市国分町。『延喜式』には桑名 (くはな) ,員弁 (ゐなべ) ,朝明,三重,鈴鹿,河曲 (かはわ) ,奄芸 (あんき) ,安濃 (あの) ,壱志 (いちし) ,飯高,飯野,多気,度会の 13郡があり,『和名抄』には郷 94,田1万 8130町余が記載されている。式内社の 253社は一国としては最も多く,神郡,神領も多かった。平貞盛の子維衡は寛弘年間 (1004~12) に伊勢守,その子孫正盛,忠盛も伊勢守となり,伊勢平氏としてこの地に勢力を張った。平清盛は忠盛の子として活躍。鎌倉時代には山内氏,平賀氏に続いて北条氏の一族金沢氏が守護となり,南北朝時代には北畠氏が南朝の側に立ち,室町時代には北畠氏は国司として,また守護には仁木氏,土岐氏があたった。戦国時代は群豪が割拠したが,織田信長が平定。江戸時代に入って慶長 13 (1608) 年,藤堂高虎が入国したが,幕府は山田奉行を設置し,神宮所在の山田を直轄地として支配した。藤堂氏の津藩のほかには本多氏の神戸藩,増山氏の長島藩,土方氏の菰野藩,松平氏の桑名藩,石川氏の亀山藩,藤堂氏の久居藩があった。明治4 (1871) 年の廃藩置県により,7月各藩はそのまま県となったところが多かったが,同年 11月,度会県と安濃津県に分れ,1876年合併して三重県となる。

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デジタル大辞泉の解説

いせ‐の‐くに【伊勢国】

伊勢

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百科事典マイペディアの解説

伊勢国【いせのくに】

旧国名。勢州とも。東海道の一国。現在三重県の大半。《延喜式》に大国,13郡。古くから伊勢神宮の所領があり,古代末期以後,平・大内・平賀・仁木(にっき)・土岐氏らが領有,南北朝期には北畠氏の勢力下にあったが,近世初期藤堂氏の支配に属して明治に至る。
→関連項目近畿地方曾禰荘保内商人三重[県]

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藩名・旧国名がわかる事典の解説

いせのくに【伊勢国】

東部の志摩(しま)と西部の伊賀(いが)を除く三重県の大半を占めた旧国名。古くは伊勢国造(いせのくにのみやつこ)が支配、伊勢神宮の鎮座地として開け、神領が多かった。律令(りつりょう)制下で東海道に属す。「延喜式」(三代格式)での格は大国(たいこく)で、京からは近国(きんごく)とされた。国府鈴鹿(すずか)市国府(こう)町、国分寺は同市国分(こくぶ)町におかれていた。平安時代末期に平氏(へいし)の拠点となり、鎌倉時代には山内氏、平賀氏、大内氏守護となり、南北朝時代になると北畠(きたばたけ)氏が南朝の拠点を確立、その後も勢力をはった。戦国時代に在地武士や一向宗徒(一向一揆)を織田信長(おだのぶなが)が平定。江戸時代、幕府は山田奉行のほか7藩をおき、幕末に至った。江戸時代には、のちに三井財閥となる三井高利(たかとし)を祖とする三井家のような伊勢商人が活躍した。1871年(明治4)の廃藩置県により度会(わたらい)県と安濃津(あのつ)県が成立、1872年(明治5)に安濃津県は三重県と改称、1876年(明治9)に度会県を併合して現在の三重県となった。◇勢州(せいしゅう)ともいう。

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世界大百科事典 第2版の解説

いせのくに【伊勢国】

旧国名。勢州。現在の三重県東部。
【古代】
 東海道に属する大国(《延喜式》)。国名は,〈伊勢国風土記〉逸文に,伊勢津彦が国土を献じ,風を起こし波に乗って東方に去ったので,神武天皇の命により国神の名をとって命名したという説話がある。〈神風の〉という伊勢の枕詞もこれによる。国府は現,鈴鹿市国府町にあった。桑名,員弁(いなべ),朝明(あさけ),三重,鈴鹿,河曲(かわわ),奄芸(あむぎ∥あんへ),安濃,壱志(いちし),飯高,多気(たけ),飯野,度会(わたらい)の13郡を管する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

伊勢国
いせのくに

東海道の一国。三重県の東部にあたる旧国名。国名は国神(くにつかみ)の伊勢津彦(いせつひこ)の名による。古代では、神風の伊勢の国は常世(とこよ)の浪(なみ)の寄する国とも、傍国(かたくに)の可怜(うま)し国ともよばれ、大和(やまと)朝廷の外辺に位置し、かつ東国への窓口としての位置を占めていた。律令(りつりょう)制下では桑名(くわな)、員弁(いなべ)、朝明(あさけ)、三重(みえ)、鈴鹿(すずか)、河曲(かわわ)、奄芸(あむへ)、安濃(あの)、壱志(いちし)、飯高(いいだか)、飯野(いいの)、多気(たけ)、度会(わたらい)の13郡をもつ大国であった。なお、安濃郡は中世には安東、安西の2郡となった。郡の下の郷は94郷(『和名抄(わみょうしょう)』)を数えた。国府は鈴鹿市国府(こう)町に、国分寺は同市国分(こんぶ)町にあり、都への連絡は上り2日、下り1日とされた。度会郡宇治(うじ)郷(伊勢市)に伊勢神宮(内宮(ないくう))があり、その鎮座は垂仁(すいにん)天皇25年のこととされる。外宮(げくう)は同郡沼木(ぬき)郷(伊勢市)に雄略(ゆうりゃく)天皇のときに丹波(たんば)(京都府)から遷(うつ)されたと伝えられる。神宮に奉仕した斎宮(さいくう)は平常は多気郡にいた。度会、多気、飯野の3郡は神郡(しんぐん)で伊勢神宮の支配下にあり、これを神三郡(じんさんぐん)とよんだ。のち員弁、三重、安濃、朝明、飯高の5郡も神郡となり、あわせて神八郡(じんはちぐん)とよばれた。律令制の解体とともに多くの神宮領の御厨(みくりや)・御園(みその)が成立し、また大国荘(おおくにのしょう)(東寺領)、川合(かわい)荘(東寺領)、曽禰(そね)荘(醍醐(だいご)寺領)などの荘園が成立した。10世紀の末には伊勢平氏が安濃津、桑名、富津などの地を根拠に発展した。
 12世紀の源平の争乱にあたっては、平家側の拠点として源氏への対抗が続いた。鎌倉幕府は守護に山内首藤経俊(やまうちすどうつねとし)、平賀朝雅(ひらがともまさ)、大内惟義(これよし)らを任じ、北条時房(ときふさ)以後は北条氏の一門がその地位を独占した。また地頭には島津忠久、畠山重忠(はたけやましげただ)、渋谷定心らの名前をみることができる。13世紀末から14世紀にかけ在地領主は力を蓄え悪党として活動し、伊勢の社会体制も揺らいだ。こうしたときに南北両朝の対立が起こり、南伊勢の神宮の祠官(しかん)の勢力を頼んで南朝側の北畠親房(きたばたけちかふさ)は宗良(むねなが)親王とともに伊勢に下向し、南伊勢を中心に北朝側と対立した。南北両朝の合一後も北畠氏は伊勢国司として独自の地位を保ち、しばしば室町幕府と対立しながらも、1569年(永禄12)に織田信長に居城大河内(おおこうち)城を攻め落とされるまで、南伊勢を中心にその支配を続けた。信長は1574年(天正2)、長島(ながしま)にこもる一向一揆(いっこういっき)を三度目の攻撃でようやく滅ぼし、伊勢国全体を手中に収めた。信長の跡を襲った豊臣(とよとみ)秀吉は北伊勢の長島城に甥(おい)秀次(ひでつぐ)、南伊勢松ヶ島に蒲生氏郷(がもううじさと)、安濃郡に富田知信(とみたとものぶ)を配し、信長色を一掃し、検地を実施した。大名の移動は徳川政権下も続いた。桑名藩には本多忠勝(ただかつ)が1601年(慶長6)に入ったが、移封がしばしばなされ、幕末まで藩主は5回変わった。これに対し津(つ)藩は1608年(慶長13)に藤堂高虎(とうどうたかとら)が入国して以来、幕末まで変わらなかった。このほか、菰野(こもの)、神戸(かんべ)、長島、亀山、久居(ひさい)の各藩と紀州徳川家領があり、山田には山田奉行(ぶぎょう)が置かれた。明治に入り神宮領が度会県に、各藩はそれぞれ県となり、1871年(明治4)に南伊勢の度会県と北伊勢の安濃津県(翌年三重県と改称)にまとめられ、1876年に両県は合併し三重県となり、県庁は津に置かれた。産物では近世に伊勢白粉(おしろい)、白子(しろこ)の伊勢型紙(かたがみ)、松坂木綿が知られていた。また三井に代表される伊勢商人の活動は全国に及び、近世初頭の大湊(おおみなと)の角屋(かどや)は海外に活躍した。国学者本居宣長(もとおりのりなが)は松坂の出身であった。伊勢参りで伊勢の地にきた人の数は多く、伊勢の名を全国に知らせることにもなった。[西垣晴次]
『西垣晴次他著『三重県の歴史』(1974・山川出版社)』

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世界大百科事典内の伊勢国の言及

【水銀座】より

…中世,伊勢国飯高郡丹生(現,三重県多気郡勢和村)産出水銀の特権的な取引に従事した商人団。水銀とその原鉱辰砂は医薬品用,顔料白粉原料等として用途が広く,すでに文武・元明天皇のころから伊勢産水銀の貢納が行われていた。…

※「伊勢国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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