日本歴史地名大系 「網田焼窯跡」の解説 網田焼窯跡おうだやきかまあと 熊本県:宇土市網田村網田焼窯跡[現在地名]宇土市上網田町上網田(かみおうだ)町引(ひき)の花皿山(はなさらやま)にある藩内唯一の白磁窯跡。「御郡方年系略記」によると寛政五年(一七九三)肥前同様の焼物を作らせるため、藩の奉行所の出銭をもって開窯した。一説に寛政四年四月とある。武藤勝平が責任者となり、天草郡高浜(たかはま)村(現天草町)において作陶の指導にあたっていた肥前国中尾皿山(現長崎県東彼杵郡波佐見町)出身の山道喜右衛門および肥前・天草の陶工を招いて作陶に当たらせ、焼物師には飯米を給し、皿山会所を置いた。藩では網田皿山を保護するため、肥前焼の入込みを禁止、常時日雇夫四〇―七〇名が作業に従事し、生産量は飛躍的に増大した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by