綾里唐船番所跡(読み)りようりからふねばんしよあと

日本歴史地名大系 「綾里唐船番所跡」の解説

綾里唐船番所跡
りようりからふねばんしよあと

[現在地名]三陸町綾里

石浜いしはまはちヶ森(二六三メートル)頂上、ならびに綾里崎の中央部立石たていし(三五九メートル)にあった。正保三年(一六四六)頃の設置とみられ、正保国絵図に「遠見新番所」とある。元禄一一年(一六九八)の「気仙郡古記」によれば八ヶ森にあり、初めは役人高平正太夫が定住していたが、のち足軽二名ずつが詰めるだけとなり、元禄期には足軽一名が三〇日交替で勤務し、時折広田ひろた番所(現陸前高田市)の役人が見回りに来るという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

[名](スル)二つ以上のものが並び立つこと。「立候補者が―する」「―政権」[類語]両立・併存・同居・共存・並立・鼎立ていりつ...

連立の用語解説を読む