日本歴史地名大系 「綾野新田」の解説 綾野新田あやのしんでん 滋賀県:甲賀郡水口町水口美濃部村綾野新田[現在地名]水口町本綾野・綾野・日電・城内・東林口水口宿の北西に開かれた新田。水口美濃部(みなくちみのべ)村の北西から北脇(きたわき)村に至る一帯の原野をさし、永禄一二年(一五六九)六月一二日の上山村四郎右衛門為高畠売券(山中文書)に「甲賀上郡柏木郷林口村字綾野」とみえるのが早い。また慶長七年(一六〇二)の林口村検地帳(水口宿文書)には「あやの」の字名がある。延宝六年(一六七八)北脇村から当時の水口代官猪飼次郎兵衛に差出された絵図(柏木神社蔵)によれば、綾野は古城(こじよう)山西麓から北脇村若宮八幡宮(現柏木神社)に至る一帯をいい、小堀遠州が水口代官在任中、北脇村と水口美濃部村が境相論を起こし、綾野のほぼ中央に南北に境塚が五ヵ所築かれ、これを五ッ塚と称したことなどが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by