綿津見神社(読み)わたつみじんじや

日本歴史地名大系 「綿津見神社」の解説

綿津見神社
わたつみじんじや

[現在地名]飯舘村草野

草野くさの館跡の北西約一キロに鎮座する。祭神は大綿津見神・鎌倉権五郎景政で、旧郷社。草野館の四方固めの神社と伝えるが、縁起によれば大同二年(八〇七)標葉しねはくさの神社(現浪江町)から勧請、応永年間(一三九四―一四二八)に新田一族の岩松義政がこの地方を領した時、八龍はちりゆう大明神と改称したという。これに対し、近年の調査によると野神社に相馬一門の熊川氏の氏神八龍大明神を合祀したものとされる。嘉永六年(一八五三)の飯樋陣屋達(相馬藩政史)に「昨日於八龍社代官衆始御主法御役々御目附其外役々終日雨乞仕候」とあり、雨乞の神として信仰された。寛政一〇年(一七九八)野火にあい社殿を焼失(「神社由緒」多田家文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む