縄田尚門(読み)ナワタ ショウモン

20世紀日本人名事典 「縄田尚門」の解説

縄田 尚門
ナワタ ショウモン

大正・昭和期の陸上競技選手,指導者 元・日本陸運常務理事。



生年
明治30(1897)年2月8日

没年
昭和43(1968)年4月29日

出生地
山口県宇部市厚南区

学歴〔年〕
早稲田大学政経学部〔昭和3年〕卒

主な受賞名〔年〕
中国体育文化賞〔昭和28年〕,秩父宮賞〔昭和32年〕

経歴
大学在学中に800メートル、1500メートル、5000メートルの3種目で日本新記録を樹立。昭和3年早大卒業後、読売新聞運動部記者となる。11年のベルリン五輪にはコーチとして参加。15年日本陸上競技連盟技術部長。戦後故郷に帰り農業従事浜村秀雄、貞永信義らを国際的ランナーに育て上げ、36年山口県陸上競技協会長に就任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「縄田尚門」の解説

縄田尚門 なわた-しょうもん

1897-1968 大正-昭和時代の陸上競技選手,指導者。
明治30年2月8日生まれ。早大在学中に800m,1500m,5000mで日本新記録を樹立。ベルリン五輪にはコーチとして参加。昭和15年日本陸上競技連盟技術部長。戦後は郷里の山口県にかえり,貞永信義らをそだてた。昭和43年4月29日死去。71歳。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例